2日目、猛暑の中ペキンの鼻を無事通過し、毎年恒例の水没が起こる近藤ヶ淵へと向かいました。
昨年は自分も着地には成功したのですが、昆布の上だったために猟銃ごと海へ沈した場所でもあります。
向かう途中、昨年の反省からどこで銃をビニル袋に密閉するか?思案中にM昆布番屋手前の巨岩の間を抜けようとした時でした。
既に準備のため、みっちゃんとマッヒーは通過した後でした。
自分の足元にあってはならない戦時中の亡霊が石の間に横たわっていたのです。
ゆっくりのぞき込むと安全ピンはついている。
見た目から腐食はしているが数か月前まで外気に触れていなかったことが伺え、信管も火薬も生きていると判断しました。
隊長を呼び止め、現物を見てもらい事情を説明し、先へ急いでもらいます。
幸い隊員たちとは距離が開いていたので考える余裕がありました。
『隊員たちの安全だけを考慮すれば、自分がこの場で迂回するように指示すれば良い!でも、一般のトレッカーもいる?』
踏むなど衝撃があった場合は最悪のことも考えられます。
電波の届かない、簡単に周知ができない場所!
取る行動は一つ!
ロボットアームの如く、ゆっくり掴み慎重に移動!
解り易いと思われる場所にゆっくりと置きました。
旧日本軍97式破片型手榴弾。
死亡または重傷を負わせるのが半径15m、それ以上でも十分に飛んで来る破片で怪我をします。ましてや救急車など来れない場所で、腹を空かした熊がウロウロ、笑い話にもなりません!
安全ピンが腐食ながらも着いていることがわかります。
通称、こういう亀の甲羅型の手榴弾を洋の東西を問わずパイナップルとも言いますが、この呼び名を使ったことでのちに混乱を!
移動後、第3者がのちの捜索のために解り易いように目印を付けました。
廃網を置き、手前に石を積み上げ目印と!
やがて追い付いてきた隊員たちに少し離れて通過するように指示し、しんがりを務めていた『やっこさん』へ再度、視認してもらいました。
新聞の画像は自衛隊が信管を外し火薬を抜いた後でしょうね!警察官にこんな真似は出来ません!
通過後、海保の船などが現場に来ているのが見えていたので、検証に連れ去られないか冷や冷やしたものです。
全員が通過後、自分も近藤ヶ淵を目指します。
最後の班も向かいます。
渡る準備のためにみんな用意中!
自分も銃を袋に詰め密閉し備えました。
しかし、備えるとよくある話で、こんな楽な近藤ヶ淵は初めてという海の状況!
難なくみんな通過できました。
面白くないのでわざとスタッフを危険な場所に誘導します。![]()
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でも、もうちょっとで『スーさん』(看護師)が見せ場を作りそうでしたがみんな無事通過しました![]()
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近藤ヶ淵を全員無事渡り終え、休憩です。
このとき、本部後方支援の船がやって来ました。すぐに無線で連絡を取ります。(アマチュア無線の免許有ります)
危険物のことについて連絡を取りますが、当然の如く上手く伝わりません!
『手榴弾・・・・伝わらない』
『不発弾・・・・理解できない』
『パイナップルだ・・・・混乱する』
しばらくのやり取りがあった後、ようやく事態を飲み込んでもらいました。
そして出発数週間前から続いていた胸騒ぎ、嫌な予感が消えていた自分です。これから熊がどんどん出てくるにも関わらず!
70年前の亡霊?とまさかこんな場所で出会うとは偶然とは恐ろしいものです。
この確率は5億円一等前後賞よりも低いと思うが?
休憩後、目の前の岩場を交わすといきなり出くわしました!
痩せこけた若い熊です。
まずは声かけ運動!
次にどんちゃん騒ぎ!
それでもまったく気にしていないので近寄って見ると!
山の上に移動してくれました。大人だけでしたらお互いに無視して通過するところですが、隊員たちをご家庭から預かっている以上できる限りのリスクは排除したいというのが本音です。
滝川到着。豊富な水量が暑さで疲弊した我々を癒してくれます。
ここで、顔を洗ったり女性は髪を洗ったりしています。もちろん自分もへそから上を洗顔フォームのみで洗いました。
みんなここでかなり生き返り、次の休憩地、弐本滝番屋へ
番屋へ到着し休憩しますが、すでにこのとき熱中症患者が発生していたのです。
一番元気なのは奥で黄色い漁具を手玉に取って遊ぶ『やまと』でした。他は遊ぶ元気すらない!
本日最大の難所、念仏岩へ!
このとき、途中で帰路についていた九州から来たという青年を急遽スタッフへ引き込むことに成功!
キャンプネームは『森やん』!漢気の良い青年ですぐに子供たちにも打ち解けました。ひょっとしたら来年からはスタッフとして正式に参加してくれるかもしれません!
でも内心、帰りのフェリーに間に合うように帰れるのかちょっと心配していました。
そしてのちに彼が乗るはずだったフェリーは苫小牧沖で火災事故を起こすのです。
運命とはすごいものです。
さて、『もりやん』以外にも道中、何人かに声掛けしました。札幌医大の学生さん3人も手ごたえがありましたね!
念仏岩直下について、まずは休憩!トイレTime!
スタッフを集めて注意事項の確認です。
危険な場所ですのでスタッフも子供たちも真剣です。
隊員たちへどのスタッフと組んで、どういう順番か周知し、改めて注意すべきことを確認させます。
初めての隊員はベテランスタッフとマンツーマンで!
スタッフの中にも初めての方がいるのでその際はベテランと化した中学生を混ぜて3人体制で!
自分は『らいた』を担当しトップで!
隊長の檄が『らいた』に飛びます!
緊張の懸垂下降!
こうして全員無事みっちゃんの優しい手ほどきを受けて懸垂下降を終了し、本日の宿営地となる阿保水産番屋へと到着しました。
3年前から羆対策として阿保水産に番屋をお貸しいただき本当に助かっています。
到着して間もなく雨が降り出しました。
すぐに番屋へ避難し、夕食!
その後、夜間は激しい雷雨となり翌朝へと続いたのです。
夕方、あたりの視界が利かなくなる頃に熊が現れました。
まさに番屋様様です。
こうして2日目の夜も順調に日程を消化して行きました。
余談:
手榴弾は状況から見ておそらく、まだたくさんあるはずです。
戦後のどさくさか、戦時中の事故かはわかりませんが現場沖で箱ごと没したと思います。それがすぐに埋もれ外気に触れることなく長い間保存されたのでしょう。昨年10月か流氷前の大しけで掘り返され海底に出てきたと推測しています。そして比重の関係で石よりは軽いのでどんどん沿岸に打ち寄せられたのではないでしょうか?
きっとまだどこかに砂の中だったり、石の下だったりする場所にあると思うのが自然です。
腐食の速さから考えるとあと1年は気をつけたいものです。
関係機関の周知をお願いしたいものです。
つづく!