2/1危うく寝坊!
大急ぎで食事を済ませ向かったのはホテルから駅をまたいで反対側にある施設へ
9時のご開門に間に合いました。
まずはこっち!
数年前に少年誌で南方熊楠の人物伝が漫画になったことがあり、興味がありました。
世に出るのが100年早すぎたと言われる人物ですが、側頭葉てんかん?患っていたことも有名で、頭痛、幻視にも悩まされていたことが漫画でも描かれていましたね!
今の時代ならば症状を和らげることは可能だったのでしょうか?
菌糸類、奥が深すぎて凡人にはわかりませんが、当時の人々には変人以外の何物でもなかったでしょう。
そんな彼を理解し支えた妻は偉大です。
この絡みでしょうが菌類のコーナーは充実していましたね!
でも、実を言うとこちらでは野外に出ると普通にある物、その普通にあるものが実は凄かったりするんです。
このコーナーに立ち寄った時に、自分が持つあれはきっと見せたら科博も喉がから手が出るほど欲しいのではと思いました。
後日載せますね!
動物コーナーの方で見かけた文面に目が留まりました。
愛護団体に読ませてあげたいです。
国内の歴史上、有名な犬たちの剥製がありました。
忠犬ハチ公や南極越冬隊のタロやら
ちょっと微妙です。
北海道の野生動物・・・。
見たことも触れたこともあるような気がする?
羅臼の海が紹介されていました。
海面下ゼロから300mほどの海底まで・・・撮影されたのは窪寺先生辺りのチームかな?
日本人のルーツについてはここが一番人気!
修学旅行の女子高生グループや外国人女性グループが盛んに一緒に記念撮影していました。
隕石コーナーは興味深かったです。日本は比較的よく見つけられ保存されているのは昔からの日本人の好奇心がそうさせているということがよく判ります。
鉱物類、壮観でしたが道東でも良い産地がたくさんあります。一人では淋しいので誰か一緒に採取に行きませんか(熊が怖い)
オパールは標津町忠類川で産出するという話ですが、中学生の頃に植別川で岩脈に入っているのを見つけたことがあります。簡単では無いですがね
パン皮火山弾は羅臼岳頂上付近の羅臼平付近でよく見かけます。
恐竜はじめ古生物の骨格展示は迫力ありますね!ちなみに北海道十勝の足寄化石動物博物館も中々です。
有名なフタバスズキリュウ、当時中学生だった鈴木君が見つけたことで有名でしたが、知識のある少年のおかげで日の目を見ることが出来ました。
似たような話はたくさんあり、知識は如何に大切かということです。
ちなみに北海道忠類のナウマン象も道路工事中に見つかったわけですが、運良くアルバイト作業員の中に象の歯を見分けることが出来た少年がいて助かったわけです。
マッコウクジラの全身骨格は初めて見ましたが、デカイ!昨年の夏に弄繰り回したことを思い出しながら見ていました。
人だかりが出来ていたコーナーに、過去日本近海で起こった地震の震源地が記された模型がありました。
プレート上の如何に危ない所に日本があるか、これで良く解ります。
理論上いずれ日本はプレートの中に没するわけですから悲しいですね
もう一つ、気になる物が!
スーパーコンピューターのシュミレーションですので、ほぼ間違いない予測かもです。
羅臼のあたりは100年後今よりもプラス5度も平均気温が高いそうです。
理論上は地球は氷期に向かっていますが、人間のエネルギー活動がそれを上回るということでしょうね!
6000年前の縄文時代の気候になるのでしょう?
もう一つ、古代アンデス展もやっていました。
もう、夕刻で時間が無くなり駆け込み見学です。
武器と言えば石やこん棒ぐらいの住民に対して、銃ですからね!
大植民地時代の頃です。欧米人の比類なく凶暴さは歴史が証明しています。
盗掘されずに済んだ金製品は貴重な文化財ですが、持ち去られた財宝類は失われた文化遺産です。
アンデス文明と言えば有名な一つに頭骨の外科手術とミイラなどでしょうが、科博に会った様々なミイラはあえて撮影しませんでした。
本人が嫌でしょうから!
せっかくの上野ですが、時間もなくその後の見学は無し、陽が沈み、友人と待ち合わせし秋葉原の街並みを見下ろして食事しました。
相手画像は誹謗中傷の可能性があるためNGです。標的にされては気の毒ですので!
翌朝は出発の日!
天気予報が雪ということで交通機関がどうなるかわからないという不安の中、靖国参拝!
しんしんと降る中の靖国は威厳がありました。
電車の運行を気にしながら靖国を後にし、久々に迷いそうになった!
夕方発の飛行機を前に11時頃には羽田に入り安心して待ちました。
今回の宿泊ホテルはアパホテルですが、アジア大会ごろに騒動になったこともあり、次からは絶対にアパに泊まろうと思っていましたね!
そこで件の本を購入し、空港内で熟読させてもらいました。
今回の弾丸旅行は些細なきっかけからで、思い立ったらすぐ行動の典型ですね!
いつまでもこんなことやっていられませんが有意義でした。