灯台での記念撮影が終わった我々は一路、啓吉湾へと向かいます。
アメリカオニアザミの棘を気にしながら啓吉湾へと下山。明治時代にここで漁をしていたなんたら啓吉?さんの名前が由来だそうです。
中学生男子は木の先を尖らして銛を作っています。これでしばしの間狩猟本能を満たすわけです。
干潮の潮溜まりで逃げ遅れた魚類を物色。
採集女子も集合し、賑やかに。
スタッフ、よろずが持ってきた非常用の個装、ラーメンと餅が最後ということで振舞われていました。
班ごとの記念撮影。
11:30。迎えの船が来る文吉湾へ移動です。
時化模様の中、迎えに来た漁船に乗り込みます。
モイルス湾へ向かう船の上で自分たちが歩んだ風景を眺めながら皆無言です。
それぞれの隊員に、スタッフに・・・・・胸に去来するものがあり、一番ボロボロだったみほっちは大粒の涙を流していました(自分の人生観が変わったそうです)。スタッフ、あべちゃん・・・・『もう2度と見る事が無い景色だと・・・・・』そう、彼女の元に白馬に乗った人攫いが来るそうな。
最後の探険、ただ1人中3のちなみ、目を真っ赤にしていつまでも眺めていました。
モイルス到着。出迎え式に・・・・・わんぱく隊からはチャレンジ隊のお兄さんお姉さんがとても逞しく見えるようで、大抵このあと、わんぱく隊員たちから来年は自分も行くと言う声が聞かれます。
中日で事情により帰還するスタッフもいます。みほっち、ゆーら、ゆりちゃんの3人は業務上の事情で名残惜しそうに戻りました。
自分も過去に予期せぬ出来事で戻らざるをえなくなり、最初で最後となった娘達との探検隊を終えることが出来なかった悲しい思い出があります。
我々チャレンジ隊には相泊出発後初めてのお風呂が待っています。
さいこーのお風呂、本当に生き返ります。
お風呂の脇では先に入浴した小学6年生チャレンジ隊員たちが夕食の食材となるマス釣りに精を出していました。
全てのチャレンジ隊員たちのダシが取れたモイルス温泉に自分たちスタッフもゆっくりと・・・・・知床連山のポロモイ岳を望みながら、大きな怪我も事故無く戻ってこれたことに安堵しました。
まんさんも60歳の体を湯船で癒します。こういう人がいると我々もそこまでは頑張らないといけないのかなと勇気付けられます。
子供達の参加が10年ほど前から常に30人以上をキープしていながらも世代交代、スタッフ不足は年々深刻になっていきます。
帰還パーティーへと
つづく