しばらく休んどりました。
理由はこれからですが、今現在もすっかり元に戻ってはいません!
まぁ、ぼちぼちです。
尚、これから書かれていることはかなり衛生的に奇麗な話ではないので変態さんだけ自己責任で読んでください。
動物愛護の呪い・・・伏線は10日水曜日から始まりました。
その日は中標津警察署生活安全課へ出向き、いつもの如くあれやこれやとサインしておりました。
何とか用事も済みまして、『帰っていいよ』ということになり、気分を新たに明日の出漁に備えて、朝食代わりのおにぎりを購入に某大型店へ行き焼きたらこが具材のおにぎりを購入し帰路につきました。
しかし、翌日から天候が思わしくなく2日間まともな漁が出来ず、おにぎりは冷蔵庫の中で寝ていました。
破滅への静かな助走が始まったのです。
13日はすっかり天気も回復し、沖仕事へ!
もちろん、気にはなりましたが・・・そのおにぎりを船に持ち込んだのは言うまでもありません!
冷たいおにぎりは嫌だったので、エンジンルームのエンジンの上に包んでそっと置いておきました。
温度は人肌に保たれていたはずです。
午前1時出港し、帰港時の9時過ぎ何も食べていな自分は空腹でそのおにぎりを頬張りました。
3個。
中身は焼きたらこのはずだったのですが表面だけでたらこの中身はジューシーな半生?
舌触りに違和感がありましたが、空腹のせいもあり一気喰い!
おそらく鮮度が良ければ半生でも問題ないでしょう。
刺身のタタキのようなものです。
しかし、あまりにも製造から日が経ち、危険な熟成時間を経ていました。
食してから2時間ほど、最初の下痢が始まりました。
この時点ではまだ間隔もあり、どうしたものか考えていましたが・・・やがて嘔吐を伴い、激しい下痢へ!
酒が飲める方と違い、嘔吐慣れしていな自分はその苦しみに寿命が縮まりました。
絶え間ない嘔吐に呼吸が出来ず目の前が暗くなる。
横隔膜付近が痙攣をおこし、呼吸することもままならない。
やがて、出尽くすと嘔吐は収まり下痢が水になりました。
口から水道のホースを突っ込んでそのまま下から出しているような状態でトイレから出られません。
激しい下痢にこれから起こるであろう事体を自覚している自分はなんとか塩分やミネラルウォーターを摂取しようと試みるのですが、口や胃が受け付けないという事体。
江戸時代、多くの日本人がコレラで死んだように激しい下痢は急激な脱水状態を引き起こし、心肺停止を引き起こします。
スポーツをやっている方や指導者なら今更ですが、水分補給の大切さは渇きを覚えたときは既に脱水状態であることを理解しているはずです。
そして、その脱水に伴う体中の痙攣が自分に起こり始めました。
激しい激痛と筋肉の収縮に伴い、歩行はもちろんまともに動くこともできなくなりとうとう、このままではマズイと羅臼消防へ連絡。
この時点では救急ではなく相談を兼ねて事務所へ
対応してくれたのが消防団係のS倉君だったこともあり、頼んだら中標津まで運ばれてしまうのか?羅臼で対応なのか聞き…「羅臼対応の可能性が高い」と自分で判断し救急車を要請しました。
その間ずっとトイレ!
乗せられる前にとにかく出し切っておこうと必死でした(笑
漏らしたくはないですからね!
実は生涯4度目の救急車です。
多いですね!
すみませんが助かっています。
1回目:急性アルコール中毒(飲めないのに無理した(コップ1杯のビール))翌日病院で意識回復し医師より今後お酒は死んでもおかしくないと言われました。
2回目:乳糖不耐症の進行によるアナフィラキシーショック(大好きだった牛乳がダメになっていたことが判らず発症)
3回目:交通事故(単なる貰い事故で本人は元気だが念のため乗った)
4回目:今回です。
5回目:羆単独狩猟中の悲しい事故により・・・・収容
さて、病院に着いてからの点滴は『神』です。
看護師さんたちは『天使』です。
医者・・・・『後光』が射しています。
脱走しようなどという不届きものが病院に存在することが信じられません!
足の指先からふくらはぎ、太もも背中わき腹とあったこむら返りも徐々に収まり、すんでのところで川を渡らずに済みました。
点滴もひと段落し、その日の午後9時退院して自宅に戻りました。
翌日も1日中30分から1時間おきにトイレへ!
体が徹底的に菌を排除しようと頑張ってくれていますが、正直頑張り過ぎでご主人がモタナイという。
始めた食したのは月曜日になってからですが少しで精一杯、おかげで何をするのも息切れです。
今現在も横隔膜付近の筋肉痛が取れず深呼吸は出来ません!
下痢は今朝になって収まりました。
皆さん食べ物には気を付けましょう。
ちなみにノロではありません!