記録として残っている羅臼町のヒグマによる人身事故について記事にしたいと思いました。
尚、記事については『月刊新根室』㈲総合企画様よりご協力いただきました。
昭和55年10月に事件が起こりました。
当時、自分は中学3年生です。
羅臼町春日町ポン春刈古丹川の向かって左岸の高台に毛皮用のミンクを飼育していた高嶋さんの工場がありました。
このころは全道各地で毛皮製品用にミンクが大量に飼育されていました・・・道内ではのちに脱走してすっかり帰化?しています。
餌として雑魚(脂が少ないカジカなど商品価値の無い魚が好まれました)を与えていたのですが、工場わきにあったその餌に餌付いたわけです。
半矢となった羆を視界の利かない中、追いかけたのですが、ちょっと油断もあったのでしょうね。
駆け付けた息子さんもハンターです。
怒り狂った羆の場合はスラグ弾を頭部の急所以外に発砲しても皮下脂肪で止まり致命傷には至らないと数々の実戦で証明されています。
自分が狩猟中に羆と出会って逃げたのは怖かったのと、このためでもありますが
腹におっつけての発砲も効かない中、馬乗りになるって酷い状況だったことがわかります。
こんな体験をした高嶋喜作さん、のちに悲しい出来事が待ち受けていました。
そしてそれを機会に息子さんたちも銃を置くことに!
つづく