感情的には『日・ソ混在の記憶』ですが!
当時の北方領土において写真の記録が残っている例は珍しいです。
実を云うと、父方の祖父母の実家にも(羅臼町峯浜町)当時の貴重な写真が残っていますが、自分があれこれ言うのはちょっと・・・!
カメラや写真自体が貴重な時代ですからね、ましてや着の身着のままで追い出されたわけですから!
戦勝記念!『勝手にやっていろ』という話ですが、戦争ってそんなもんです。
21世紀の現在も、国際政治における発言力、国力は軍事力を背景にしています。
どんなに綺麗ごとを並べても、暴力が最強です。
悲しいことですが繰り返される悲劇を見ていれば、彼らの信じる『神』は存在しないし、『勝てば官軍、負ければ賊軍』は紛れもない事実です。
押し込み強盗のような真似をされても、抵抗する術の無かった日本です。
せめてもの救いは特定3国の様な非人道的なことが公然と行われなかったことですね
混住の時代、どうだったかは聞いています。
紳士的なソビエト兵も居ましたし、ならず者そのままのソビエト兵も!
国後島、泊村。
親や祖父母、曾祖父母が暮らした地域で定置網を営んでいました。
きっと知り合いの可能性もあります。
多分、見せればわかります。
終戦と同時に送り込まれた民間人・・・きっと謳い文句に踊らされたか、半強制的に移住させられたことでしょう。
当時、既に冷戦の幕開けだったわけで社会主義、共産主義国家では異を唱えることは許されなかったわけです。
2月7日は北方領土の日・・・・
『力無き正義は無能なり』
自分の家だったらいくらでも協力できたんだけれど・・・・