30年ほど前の話ですが、昨今の熊に対する現場の状況と理解できない人々とのあまりに乖離した考え方に一石、投じたく記事にしました。
昭和61年(1986年)9月16日未明、北海道目梨郡羅臼町海岸町の小学校が隣接する住宅に熊が押し入りました。
漁業(現在は民宿経営兼町議)鹿又政義さん宅にメスの羆が1時間ほど籠城し散々荒らし回って出ていきました。
この間、家族7人(子供3人を含む)は2階へ避難、熊さえその気なら簡単に2階へ上がって来れるわけです。
今みたいに携帯も無く、固定電話の子機さえ無い時代です。
その間は外部との連絡手段など無いわけです。
運良く隙を見て1階に戻り電話したわけですが、普通の精神状態で無かった故になせる業でしょうね!
異常とは言え、今ほどゴミや食べ物の保管に厳格では無かった時代、原因の一端がそこにある事すら周知・認知されていなかった時代故に起きた事件ともいえます。
その点については人の側にも責任の一端があるでしょうが当時そんなことが起きることなど誰もわからないわけです。
人の土葬が熊を呼び寄せることに気が付かなかったのと同じように!
猟友会の出番です。
通常、狩猟法にのっとった有害駆除考え方では住宅地からの発砲や夜間の発砲は許されないのですが、そこは超法規的な措置が取られて当然です。
相手は裏の原生林から深夜にやってくるわけですから!
やがて、人家に押し入ったクマが仕留められました。
小熊2頭の母親です。そして子熊も射殺!
小熊も射殺・・・ここが大事なところです。
なぜか?
愛護団体や野生動物の世界を知らない方ならば可哀想となるでしょう
親離れすらできない子熊が野生の世界で生き抜くことは不可能です。
せめて親の元へ一緒に旅立たせる方が情けというものです。
東北地方のマタギでもそうでしょうが、道内おいても親子だった場合は小熊も獲るのが責任の取り方、できないならば見逃すのが定石!
小熊の命だけでも・・・ではどこへ?
動物園で、劣悪な飼育環境のクマ牧場で一生飼い殺し?
ハンターの多くはね自分の罪を知っています。良い死に方はしないだろうと・・・地獄に落ちる覚悟は皆さんあります。
自分も経験が浅いとはいえ、100頭を超えるエゾ鹿を殺し、数十頭のキツネを殺し、数十羽?のカラスを殺し、ハンターになって3年以降、殺すことに慣れました。
戦場の兵士同様、慣れていかないと優れたハンターには成れないのがゆるぎない法則です。
殺す罪を自覚しないと精神が崩壊します。誤魔化しても矛盾だらけなので無理があり、ハンターになるには殺生の罪と向き合えるかどうかです。
一連の熊騒動は問題熊の駆除で幕を下ろしましたが、その後事件報道を知った方々の苦情が殺到したことは言うまでもありません
30年前、あの時代でさえ愛護団体の避難に役場は対応に追われました、ましてや今の時代・・・どうなるかは経験した自治体ならば思いしたくも無いでしょう。
当時は熊の射殺といえば小さくであっても新聞の記事になったものですがやがて記事にされることは無くなりました。原因は射殺苦情対応に追われる自治体、ハンターの立場を考慮したものです。
次回、一連の熊騒動に対する意見について書きたいと思います。
つづく