今日は昔の話をします。
自分がこの事件を知ったのは中学生の頃、地元の郷土史を調べているうちに我が家からわずかしか離れていないオルマップ川で凄惨な大量殺戮事件があったことを知り、こういう歴史は本州方面の話としか捉えていなかった自分には衝撃的でした。
1789年5月、草木が芽吹き始めた春、今から225年余りも前のことです。
当時、蝦夷地(北海道)の既得権益を掌握していた松前藩(道南松前町)からアイヌの人々との交易を行う権利を請け負った豪商『飛驒屋』による圧政、搾取、暴力に追い詰められたアイヌが蜂起!
全部で71人の和人が殺害されました。
乱の要因は飛驒屋による横暴でしたが、当時帝政ロシアの南下に伴い蝦夷地の政情を危惧していた幕府、松前藩によってほどなく鎮圧され、アイヌ側の37人が処刑されました。
後に鎮圧軍に対して幕府が死罪をなるべく少なくし、罪の軽いものは髭を切る程度でよいという伝達を行っていましたが当時の連絡方法では間に合わず大量処刑となりました。
ちなみに標津羅臼地区での和人殺害状況です。
以下各番屋にて、標津町5人、忠類10人、古多糠5人、薫別5人、崎無異5人、植別(オルマップ川)8人、忠類沖に停泊していた飛驒屋の船で11人です。
自宅からわずか300mほどの場所で8人が殺される?中学生だった自分は驚きましたね!
いつの世も圧政、差別、搾取はいけませんね!大きな騒乱となり双方にとっても良いことはありませんが、人間は罪深いものです。
現代は双方とも強力な殺傷力のある武器を持ち一度起こると憎悪の連鎖で永遠に収拾がつかないというのをアフリカ、中東や中国による不法占領’(チベット、ウイグル、モンゴル)により目にしますね!
日本に生まれたことを誇りに思いましょう。
そして選挙が普通に行われ、どんな時の権力者もそれに従うという事実、世界でも極めてまれだということ。
どんな意見があろうとも特別な事由が無い限り選挙に行かないことは奴隷・搾取される側になることを選んだことと同じです。
今回、画像が全く見当たらないのはそのほとんどが著作権に保護され強い警告を受けていたためでした(許可の連絡を取ろうと試みましたが全く無理でした)