著書の中で山口組の内部抗争がどうのこうのは置いといて、興味深かったのは3代目田岡一雄組長の時代の話。
その中で在日コリアンの暴力団の占める割合、凶暴さ、組織力はこの人種を実に表していると感じた。
在日にやくざにとって本国への送還は死を恐れない彼らでさえ、恐怖に陥れる脅しだったこと。
田岡組長が在日をはじめとする不良外国人に対する怒り、当時の日本が終戦後の混乱で警察がまったく機能していなかった事を考えると決してヤクザ=悪ではないということは歴史が証明している。
後に山口組の後継者は日本人以外は認めないというのも朝鮮人の気質を見抜いていたからというのも頷けます。
著書から抜粋:
朝鮮民族に任侠精神はあるか
若い衆時代から田岡一雄三代目の熱烈な信奉者であった司忍六代目は、『山口組新報』の創刊号の一面において、「山口組の当代は日本人でなくてはならない」という絶対的な不文律について語り、また《日本人の心》の重要性について触れていた。そして生前の田岡は、《日本人の心》で組織を牽引していた。
なぜ田岡は日本人の当代にこだわったのだろうか。山口組の少ない部分を占めていた韓国人・朝鮮人ではいけないのか。ヒントになるのは、古来より伝わる任侠の精神だ。「任侠」という文字は古代中国の書物にすでに存在し、「己を捨てて義のために生きる精神」を意味する。任侠精神の有無。ここが大和民族と朝鮮民族との大きな隔たりがある部分だろう。
東西ドイツは統一を成し遂げたのに、北朝鮮と韓国はいまだに分裂状態が続いている。北朝鮮では独裁者が権力や利益をひたすら追求し、哀れな国民が振り回されているが、韓国人には、北の哀れな同胞を救おうという気配はない、複雑な国際情勢が背景にあるため単純には比較できないが、朝鮮半島の状況は、私は、朝鮮民族の思想に大きな理由があると考えている。それは保身を第一とし、そのためなら裏切りもいとわない国民性だ。
さかのぼれば、朝鮮半島にかつて興った高麗という国家は、統一されたとはいえ実体は脆弱で不安定な状態にあり、幾度となく武力革命による国王のクビのすげ替え起きた。そしてついには李一族が王座を奪うわけだが、この李氏朝鮮は19世紀の世界的な近代化の波に乗り遅れ、自力で国家を存続させるすべを失ってしまう。そのため朝鮮は、1881(明治14)年に日本から軍事顧問を招いて軍制の近代化に乗り出し、1904年には「第一次日韓協約」で、大韓帝国の財政と外交について日本の関与を認めた。さらに翌年の「第二次日韓協約」で、事実上、日本の保護国になったのである。日韓併合の1910(明治34)年より前から、朝鮮は日本の影響下で生きる道を選んだのである。
ところが、朝鮮は日本との信義に反して裏切り行為を続けた。本書は歴史書ではないので詳しくは書かないが、李朝最後の王・高宗の父にあたる大院君などひどいものだ。朝鮮の為政者たちの場当たり的な立ち回りがなければ、日清戦争も(1894年)、日露戦争(1904年)の両大戦は勃発しなかっただろう。その後朝鮮が崩壊して独立を失ったのは、身から出た錆である。
そして朝鮮の国民らの中には生き抜くための選択肢のひとつとして、貧しい朝鮮半島を捨て、日本での生活を希望した者もいた。日本に在日コリアンが居住しているのはこのためだ。在日コリアンの祖先たちは、強制連行によって日本に連れてこられたわけではない。この点をしっかりと日本人、特に若い人たちには認識してもらいたいところだ。
歴史に造詣の深い田岡は、こうして日本に渡ってきた朝鮮人たちが、その根本においてどんな心性を持っているか知っていた。もちろんそれは、けっして朝鮮人を蔑視するものではない。常に巨大な中華王朝の圧力に晒される朝鮮半島で生きてきた人間にとって、自己保身が染みついてしまうのをやむをえない部分もある。それに、在日コリアンの中にも、日本人よりも日本人の心を持って、ヤクザの道を真っすぐに生きている者も多くいる。ただそれでも田岡は、山口組を切り盛りする上では、そこに《朝鮮人の心》があってはならないと考えた。そして《日本人の心》を何がなんでも守ろうとしたのである。
韓国の政治の混乱ぶりを見ていると国民性だなと改めて思います。
そんな朝鮮の歴史を鵜呑みにし養護する日本人のネガティブさにはかの人種と共通した部分があると常々思ってしまいます。
尚、著者は現在ヤクザ引退出所者を支援するNPO活動に取り組んでいる。